ポルシェ 専門店 日之出モータース
HOME メンテナンス パーツ販売 中古車販売 ポルシェQ&A うんちく! ポルシェ紹介 日之出_日記

日之出 日記 : おやじの気まぐれ日記
日之出クイック予約・問合せ 日之出モータース営業日 日之出ファクトリー紹介

日之出_日記Top > おやじ気まぐれ日記     : メカニック日記 

不定期に更新しています。100ログまで保管されています。

おやじさんの書き込みはないですが・・・
2005/12/10

おやじさんは、忙しい。このコーナー、彼の希望だったのですが、書き込む時間がないとか。
おやじのうんちくコーナーもそうですが、普段のメール対応でタイピングする手が疲れているようです。(たぶん)
 今回は神奈川店の事務、社長の長女である私が書き込んでいます。
子供のころから、いろいろな車に接してきているのですが、世の男性のようにいわゆる車好き!ではなく、
初めてみたポルシェは914で、それがポルシェの形だと思い込んでいたぐらいでした。
 この914、おやじさんが50万円を握り締め、単身アメリカに渡り、買ってきたもの。
これがポルシェ専門店となる原点。
わが親ながら、この行動力は驚かされますが、私も神奈川店を開店する前、単身、バンに荷物満載で一人、準備をはじめたことを考えると、少しは遺伝はしているようです。
 今では早寝早起きのおやじさん。うわさでは朝の6時過ぎ、大阪店へ電話すると、おやじさんが出て対応しているとか・・・(掛けてる人もすごいけど)
 ポルシェをはじめたころは、夜の12時前までもポルシェフリークが集まり、遅くまで営業していることもしばしば。
そのころ学生だった私は、その集まりの隣で(自宅が事務所でした)、夕食をとったこともたびたび。
今は、閉店早々、食事をして夜8時ごろには就寝しているようです。
 今でもそうですが、日中夜とわず、おやじさんは積載車で全国をうろうろ。神奈川店への用事も、遅くて疲れる積載車で日帰りです!その体力には驚かされます。
 戦後を生きた人間は本当にすごい。体力、忍耐力、発想、転換、頑固さも・・・現在人の私にはないものがたくさんあるように思います。
いったい、いつまで働くのでしょうか・・・!彼にいわせると、ポルシェの仕事以外ですることがないから、やりたい!とのこと。趣味と言うか、人生そのものになっているようです。
ほんと、一切の贅沢はなく、仕事がない暇な日は4畳半の狭い部屋、わたしの使い古しのベットに寝転んで小型テレビを日中みてるだけ。お酒も、たばこも、賭け事も、不摂生も嫌いで、一歩間違えれば仙人かお坊さんではないでしょうか。
 そんなおやじさんのこともですが、ポルシェを通じて、いろいろなユーザーとそのポルシェのドラマを垣間見ることのできる、刺激的な毎日に、この仕事はたいへん興味深く、また学ぶべきことも多々あります。
これからもよろしくお願いいたします。
 おやじさんがこのままこのコーナーに書き込まないなら私が、時々書き込むかもしれません。

おやじ暦伝
2005/10/28
せっかくこのコーナーを作ったのですが、何せ忙しい社長(おやじさん)!なかなか自身で更新してくれなさそうなので、今回は"ベストカー"2005年10月号に掲載されたおやじさんの暦伝を紹介します!

クルマ修理暦45年のオヤジさん。
オヤジさんの父親は交通局勤務の路線バスのメカニック。母は専業主婦。さらに終戦直後に育った5人兄弟の長男だから、自然と親と同じ仕事をするって思ってたクチだ。
で「手先はそんなに器用じゃなかった」って謙遜なさるけど、物づくりが大好きで、子供のころはベアリングを拾ってきては板に打ち付けてスケボーを作ったり、ゲタのウラに戸車を付けてロータースケートを作ったり、近くの川崎航空機基地にもよく忍び込んだ。
以外なのは当時、「クルマにはまったく興味がなかった」こと。街にはちらほらオート三輪も走ってたけど、ぜんぜん感動しなkったし、それより自転車やバイク、進駐軍のジープとか10輪軍用車に興味アリ。なぜならそっちのほうがすごいから。確かにねぇ。
 そのほか中学校時代に熱中したのは山登り。基本的に忍耐強く、達成感を求めるタイプなんでしょう。
 さて、16歳で中学を卒業後、昼は職業訓練学校、夜は定時制工業高校に通い、メカ修行を開始。
17歳で町工場に就職、腕を上げ、19歳の時には、臨時工として住友金属で東海道新幹線の開発にも従事。
腕はよかったみたいね。
 そんなこんなでいろいろな経験を積んだ22歳の時、姉の友人の弟の紹介でいすゞの下請工場に就職するのだがこれが運命の分かれ目。やっぱりクルマ好きではなかったが、当時のいすゞ車が「とんでもないクルマ(笑)」だった。ヒルマンニに始まり、ベレルにジェミニと壊れるのが当たり前で、「半分くらいは修理織り込み済みで作られてるって感じ(笑)」なのだ。
エンジン、ミッションのオーバーホールは当たり前、ちょっとしたパーツ作りも当然で、これが逆にメカニック心を刺激し、クルマにハマらせる。昔のメカニックって、要するに半分エンジニアだったのよね。たぶん。

その後は25歳で独立、トラックから乗用車から何でも直し、タクシー上がりのクルマまで修理して売る日之出モータースを立ち上げ、40歳過ぎまではいい調子。
特別儲からなくとも仕事は楽しかったが、80年代に入り、国産車の修理がだんだんつまらなくなっていくことに気づく。故障はパーツ交換で直すのが当たり前になり、イジる楽しみがなくなっていくのだ。
そんなおり、たまたま行った、ニュージーランド&アメリカ。そこでパラダイスを発見する。そう、20年前のブルーバード501や初代フェアレディZが生き生き走っており、古い車を壊れたら自分で直すアメリカンなカーライフが展開されていたのだ。
ただし、その手法をそのまま輸入しても日本で古い国産車は走ってないから駄目。そこで目をつけたのがポルシェだ。
実はアメリカの、特に西海岸はポルシェ大国。60年代のナロー911や930ボディの911がゴロゴロ走っており、さらに中古車や中古パーツが、クルマのプロからシロウトまで一堂に集結するスワップミートで売られていた。
要するに日本のガレージセールの100倍くらい大きいのよ。そこはまさに玉砕混淆の宝の山。日本では絶対にあり得ない素材としてのポルシェが激安で集まる場所だった。
オヤジさんはそこに目をつけ、45歳からほぼ月イチでロスのスワップミート通いを敢行、店もポルシェ専門店に変更。もちろん慣れないポルシェイジりだ。最初はサービスマニュアル片手に勉強の連続だったし、かけてお金より安くクルマを売ることもあった。だが、昔を思えば楽しい苦労。その後、100万円台のナロー911、時には100万円以下の914を売る店として有名になり、サラリーマンポルシェファンに絶大な支持を受けるようになる。90年代に入り、追い風も吹いた。そう、スーパーカー世代が次々とポルシェを欲しがり、ポルシェの大衆化が始まるのだ。そこに国産車並みの工賃でポルシェの面倒を見る日之出モータースはハマった。そしてついに関東進出も果たす。ま、クルマバカというよりクルマ直しバカ様。

ベストカー2005年10月"愛のクルマバカ列伝"より抜粋掲載しました。
 


前ページTOPページ次ページHOMEページ

- Topics Board -
Skin by Web Studio Ciel